大天使ミカエル
信 頼
私たち天使界は今皆さんのそばにいます。皆さんと一緒にこの最後の大掃除に関わっています。手放すと、もっと軽くなったように感じるでしょう。涙や怒り、フラストレーションを手放してください。今は、経験したことがないほどの時です。どう「すべき」かの指針はありません。
まさに今日本中を騒がせている問題ですが、下記の文章で思い当たります。“スピリチュアル”な世界で何と言っているのか、訳して見ました。90年代から「説明責任(アカウンタビリティ)」は組織マネジメントやリーダーのあり方のキーワードのひとつになって来ました。ザ・グループは自分の力を拡大するには、責任を拡大することだと繰り返し言っています。人間はなかなか自分の責任を受け入れないので人に頼り、結果、騙されるの繰り返しになります。だから、「エンパワーメント(自立)」の時代。人との関係や組織の中では、「説明責任」が伴います。
他の人の責任でない場合、あるいは、誰も見ていない場合、自分の行動に責任が持てますか? もちろん、そうですね。そう思わない場合は、自分を騙しています。そして、最終的には自分の行動の結果に苦しみ悩む人になります。今日の行動の結果が分からなくても、常に、今または今後、結果が表れます。~Lisa Renee
すべての人間は自らの言葉、行為・行動、振る舞いに責任を持っています。それらはすべて、直接エネルギー的結果を出そうとする時の各個人の選択です。どんな質のエネルギーに同調するか、あるいは、スピリチュアルな導管としてポジティブかネガティブな力をもつかは自分で了解し一致するからそうするのです。私たちが同調するもエネルギーの力が何であれ、(そのことを知っているかどうか)に関係なく、それが身体と意識が普遍法則に従う周波数になります。 精神力の質は、その人の精神の質と行動を支配する次元の法則に対応しています。ネガティブな力は低い次元にあり隷属・束縛状態を創り出し、キリストのスピリットによるポジティブな力は最高次元にあり、その魂とスピリット(精神)に主権と自由を与えます。
普遍法則には、アカウンタビリティ(説明責任)の原則が含まれます。アカウンタビリティの原則には、人生やスピリチュアルな進化のサイクルにわたって、個人の思考や言動、行動、振る舞いのバランスを回復する目的があります。魂と精神に後まで残る影響を与えるものはすべて原因があり、そのような行動はアセンションのサイクルの終わりには、適切な関係者たちに対する責任を負うことになります。説明責任を尽くすことは、精神部分(スピリチュアル)のアセンションに直接関わります。私たちが責任を果たす能力を高めていくにつれて、私たちの精神性はますます磨かれ高まって低い次元から抜け出して、人間の価値を高めます。 自分のふるまいとモラルのある高い行動を選択することに責任を持つことは、低い精神状態や性質に対する執着心を捨て、それに縛られる態度を改めることです。
リーダーシップと管理者責任(スチュワードシップ)の役割
「私は他の人に対する責任があり、人を傷つけることなく真実を話します」。
リーダーシップの役割においてアカウンタビリティとは、他者に影響力を与える役割と立場において、管理、マネジメント、ガバナンス、実行を含む行動、成果物、意思決定、ポリシーに関する自分の責任を認め、事実として認めるということです。アカウンタビリティは、特に、他の人、グループ、組織、地球資源に与えた影響に関して、自己の選択と行動の結果に対して回答して誠意を示す必要があるという倫理的行動を含んでいます。
思考・行動・言動に責任を負うことは意思決定後の結果について責任を負うというとこを理解する適切な倫理モデルがなければアカウンタビリティは存在しえません。換言すると、意思決定について説明しない場合、その人はアカウンタビリティが欠落しているということになります。アカウンタビリティが伴わないと、信頼できず誠実さは存在しません。
また、人生上の問題や、家族の問題、仕事、あらゆる社会的な場でのコミュニケーションに関わる問題を決める時に、本当のことを伝える、説明することもアカウンタビリティです。この原則は、関係の大きさに関係なく要求されます。出来るだけ人生の状況を改善するために、発達した人格と社会常識として説明責任を果たす重要性は、決して過小評価されるものではありません。
私たちは責任を負うという特性を失ってしまったのでしょうか? あなたの責任について他の人は何と言うでしょう? 物事を何でも大袈裟に言うというのは、当たり前になったのでしょうか?
説明責任は、あなたを表現する倫理的モデルと特性の基準であり、あなただけがあなたの行動に全責任を負います。 することとしない(しようとしない)ことに責任を負うという姿勢は、モラルの点で重要な特性です。
多くの人々は責任(responsibility)と説明責任(アカウンタビリティ)を同じものとして混同しています。 現実では、同じコインの裏表です。説明責任を負うことは、自分を防御する行動をとらないことに関係しています。例えば、努力してやろうとしたり異なる方法で関わるなどではなく、否定的な信念や態度など、閉鎖的な態度をとることです。そういう態度を止めることに関わる責任です。アカウンタビリティを避け責任を回避する自己防衛のもっともよくあるパターンは、感情的になり、他の人を非難する、急に怒り出すなどの振る舞いです。
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