自分を見つめる by イエス

洋の東西を問わず余りに次元の低すぎることが連日マスコミの主要テーマになって、チャネリングで言われるようにはっきりと次元が分岐して溝が大きくなっている実感があります。なぜか、″隔世の感”を感じる。いったい自分はどこにいるのだろうか、ここはどこだろう? 遠いところに来てしまった・・・

イエス

自分を見つめる

 

 

 

静かな美しい湖畔にいると思ってください。あなたの周りは木々で、見上げると青い空です。そこで水面を見て、何を感じますか? 水面に映った自分は、素敵ですか、それとも嫌ですか? 湖面に周りのものが映るように、人生のすべてが映し出されます。人々は、感情を表に出し、ポジティブ、ネガティブな言葉を発しようとします。湖面を見ながら、もし、反射するものが見ていられない場合、自分や他の人に対して批判的だった自分が映っているに違いでしょう。裁くような口調で噂話や考えていたことを口に出していた自分がそこに映っています。映っている自分が素晴らしければ、他の人に明るい光を出しているに違いありませんが、人は危険や恐れを察知するとすぐにエゴで波動が変わるので用心する心もどこかに隠れているかもしれません。

反射は反射で変わります。他の人に決まって否定的に反応する、あるいは、人があなたに否定的に反応するのはなぜですか? あるいは、人生に否定的な出来事がたくさん起こるのはなぜですか? その理由は、あなた自身の態度や気分、感情が自分に戻って来るところにあります。自分の中にあるものでネガティブなものを引き寄せてしまうものは何ですか? 何を感じていますか? どこから来るのですか? 低い波動を引き寄せる自分の言動を誠実に受け入れ認める時は、反射するものが変わります。

人生上手く行っていないのは、まずいことが起きたのは他の人間のせいだと言いたい人たちが世界に溢れています。不幸な人の特徴は、言っていることが露骨な嘘であることが見えすいているにも拘らず、自分の面子を失いたくないのでウソではないと否定する点です。ウソをつけばつくほど、その欺瞞が誠実さを消していくので、ウソをついている人に、その人の役割に期待をかける人たちの目の前で信用を落としていきます。アクエリアス時代には、どんなことであれ、真実に蓋をして抑えておくことは出来ません。いずれは本当のことが表に出ます。しかし、初めて本当のことを白状したとしても、その場合の結果は、それまでになく破滅的な結末になることが非常によくあります。長期間真実を隠し通すと、その結果、ウソが真実とは違う別の現実を生じさせ、本人は危なっかしい不安定な立場に身を置くことになります。ウソをつけばつくほど、失うものがそれだけ大きくなります。このような状況に陥った人は、人を欺き、隠し立てをし、頑なな自己防御の姿勢になればなるほど、誠実さを疑う人たちに対して自分は有罪であることは疑いようもないことを証明する結果に終わるのです。真実に靄をかけ見えなくすると、隠し通す本人は、将来劇的な失脚劇や失態を演じることになります。多くの場合、本人たちはその過程の中で自分を騙することで、最悪のシナリオにならないようにします。

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