素晴らしい!
サナンダ
闇を受け留める
この特別な魂は、愛とは正反対の自分を経験すること、そして、地球上最悪の人種差別主義者、憎しみと偏見と残虐さのシンボルになることを(同じような進化の段階にいる他の魂と協力して)慎重かつ巧妙に選んでいたのです。彼は、そうすることによって他の何百万の魂が光の役を演じられるような土俵を創り出したのです。
世の中を平和にするには、謙虚にありがたいと感じながら自分を愛し、また他の人に心を開いて愛することが必要であるとはよく言われます。生まれ持った愛を伝えることに習熟するのは重要ですが、あなたの現実が愛に包まれ、現実に愛が根付き愛を経験する前に必要なことがあります。ある一つの習慣、一つのエネルギーが消えなければなりません。この習慣を本当に理解せずして愛の持つ癒しの力と自分も人も引き上げる力が愛にあることを完全に知ることはできません。
悟りを経験しようとして瞑想やスピリチュルな行為を実践する時に、実際に自分の中の愛のエッセンス、その力を体験することがあります。その力を十分に受け留める時、あなたの愛は変容を促し、あなたは幸福感や健康、豊かさを感じて豊かになり、至福感を味わって自由を体験し、神聖な叡智によって命の尊さ、素晴らしさを知ります。愛は地球に生きるすべての人が伝え合い、交わし合う主要な大きな力ですが、愛を大きく育てるのではなく審判というものが現れて大きくなろうとします。
審判は意識を否定的なものに向ける時の思考プロセスです。オーラ全体に否定的なエネルギーを創り出します。審判する時は、自分や周りの人、宇宙、創造主にも、自分の現実に納得していない、満足していないというメッセージを送ります。それは無意識に伝える強力なメッセージです。誰も何も良くない、自分も他の人も愛され気遣われるに値しない、自分のいる世界は不完全で気に入らないというメッセージをマインドと自分の中で創り出しているのです。自分や他の人、現実や世界の欠点を探すことは疲れる作業ですが、子供の頃から染み付いた習慣なので、それでも多くの人が喜んでやります。決めつけたり審判せずとも非常に楽に生きられるのですが、審判は審判を呼び、批判非難が強化され人間の天性になっているような事例は常にあります。
審判は愛のない思考、意見、見方のことで、マインドの中にあり、大声に出し、行動に転じます。審判することによってますます世界は壊れていると思い込み、自分が修正する必要があると思い込むようになります。そうしてあなたは力を持つ立場に身を置いて幸せになろう、安全でいようとし、エゴが大きくなります。しかし、愛の波を吸って吐くという実践によって本当の幸せ感が生じ、大丈夫であるという感覚が生まれます。苦しみや痛みを経験しなければ、あるいは他の人が転んだ結果、自分が転んだので幸せになれる、安全だと感じる必要はどこにもありません。他の人を決めつけ裁くことでその人に否定的な波動を送っているのですが、当のあなたも審判されたい、そう表明していることになります。マインドやハートで生まれる思考や感情は現実と宇宙の中に生まれます。あなたは考えることを引き寄せて経験します。考える事、感じるものが心の中だけでなく物質的現実の中にも生まれます。考える事、感じることをつぶさに記録してみれば、考えるものと経験するものとの相互関係が分かるでしょう。つまり、審判することで不幸せを経験し、他の人から批判されることになります。もっと大きなスケールで見ると、数多くの人の内部で生まれたたった一つの審判行為が大きくなって戦争に発展し、残酷な事態を生み出すこともあります。さらには、被害が生まれるような気象条件さえも起こすことがあるのです。
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